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39.タイ王国

2002年と昭和40年が同居している国、タイ



'02.4.25.から2泊3日でバンコクに行ってきました。
ビジネスミーティングのある事務所はこんな感じ。
なんだ、立派なビルに入居しているな、本社より、
ずっーと立派じゃないか。いいなぁ、街中だし・・。


・タイ行きのJAL便(なんとその機体はDC10であった)の夕食。
・ごく普通の日本食で、復路のタイエアでもタイ料理の選択はなかった。
・ほとんど片道6時間も飛んでからバンコク国際空港に到着。手荷物持ち出しチェックも無く、早く持ち出した者勝ちか?通関検査も無い。どういう国なんだろうか・・。


・タイは4月は1年で最も暑い時期だそうで、先週までは40℃あったらしいが、到着時の夜21:00頃では32℃程度で事無きを得た。
・夜の街は、新宿のような、錦のような、すすきののような・・・。日本語看板のオンパレードであった。
・店の周りに出て呼び込みしている女の子も、日本語が出来る娘が多いのだが、外では元気でも、一旦客が付いてしまえばもう席料は確保したとばかりに、静かになってしまうのよ。
・タイは、聞けば国民の実に65%が女性とのこと。これでは、当然女性が街中に溢れているはずだ。
・噂では、暑い地方ほど、出産率は女性が高くなるという。確かに、日本でも、西日本では女性が多いのは常識だが、関東、東北などの東日本では男性の方が多いそうだ。


・到着日の夕食は、この暑いのにタイ鍋。
・辛い筈が、名古屋環境での台湾ラーメン修行が効いているのか、そう辛くも感じず、普通に食べられてしまい、紹介した現地人もがっかりしておったようだ。
・ビールは日本風で、味もほとんど同じ。


・バンコク市内の高速道路。
・東南アジアは英国との関係があり、車は右ハンドル左側通行です。
・この高速道路はイタリアの設計チームが作ったらしいのですが、誠に不思議なことに、高速道路の路面が普通と逆で、対抗車線を含めた道路の中央が最も凹んだ断面をしており、高速走行時の車両直進性をかなり悪化させる原因になっています。


・日本で言う国道1桁台の道。
・一般国道だが、片側3乃至4車線で、ほとんど真っ直ぐ走る。
・最高速は有料道路と同じ120Km/hrであるが、高速車の運転手は160Km/hrで走行しており、ほとんどアウトバーンと変わらない。
・変わるのは、低速車が車線を譲ることがまず無いことで、スラロームしながらほとんど左側から追い越して行くことである。
・又、道路の中央にUターン路があるだけで、交差点が存在しないのである。タイは、バンコクの人口は公称600万人だが、驚いたことに国の人口は6000万人しかいないらしい。大きな都市に、衛星都市が広がっているような構造ではないようだ。主要都市の間にはほとんど都市は存在していないのかも知れない。


・地方都市での昼食風景。
・スティックのようなものは、前菜のネギ。これをコチジャンにつけて頂く。
・食事は、タイでは都市部には無数の屋台があり、誰も自炊はしていないのだそう。
・10バーツ≒56円程度で食事は出来る。100バーツも出すと、日本のようなレストランで日本の定食がそのままで出てくる。


・宿泊したプラザアテネホテル。
・立派だ、これは相当に良い宿だが、バンコクの中では普通のクラスとのこと。


・部屋の中。
・タイは客人のもてなしの第1義は涼しい部屋を提供すること。
・よって、ものすごく冷房が効いているのだった。
・真夏でもいつでも上着を忘れずに持って行けというガイドブックの注意事項に嘘は無かった。
・そして、スイッチを切って2日経っても、その大理石の壁やフロアのせいか、さっぱり部屋の温度は23℃から上昇しないのであった。


・玄関ホールからの眺め。この日は雨が降った。
・昔の軍服のような服を着ているのが車付のベルボーイ。ホテルルーム付のベルボーイは別に居る。


・街中は、日本車と欧州車の割合も日本そのものと同じ感じ。古い車が多いというほどでもなく、大阪、東京の街並みとさほど変わらない。
・変わって見えるのは、バイクが複数の人を乗せている場合が多い(タクシー的に使われている、2人、3人、4人、5人乗りまで走っている)。


・ヘルメットとシートベルトの規制が始まって久しいが、バイクのヘルメット普及率はかなり低そうであった。

・しかし、シートベルトを締めなくてはならぬのはシートベルトの有る席であり、この写真のように、弐台に載せた人は不要。
・このまま、高速道路も走行しているのだから恐れ入ってしまう。


・ピックアップが多いのは、タイ国の自動車購入税の関係で、ピックアップ系が安い為です。
・その為、カリフォルニア並にピックアップ市場があり、日傘を刺して談笑しながら長距離を走るおばさんや、中には荷台にハンモックを渡して寝ながら移動している家族連れも居ました。


・その他、例のプロパンガス?で動く3輪車も相当数走って居ますが、意外なことに、自転車や、この写真のような人力車は非常に少ないです。
・暑いので、やっていけないのではとの現地日本人スタッフの言葉でしたが、そんなことは無い筈(農作業をしているのだから)なので、やはり、思ったより収入があり、モータリゼーションが進んでいるのだと思われます。
・昭和40年代前後と2002年が同居しているタイ。昭和40年と言えば、日本人のサラリーマンだって初任給は1万円程度だった筈。その頃でも、確かに日本人もマイカーを持ち始めていたわけで、と思うのです。


・オフィスからの眺め。宿泊先のホテルからは歩いて5分。
・西側は大使館通りで、この正面は米国の来賓館、下側の森の中には各国の大使館があるらしい。我々のホテルでも週末は大使館らしい方々のパーティーが幾つも開催されていた。


・オフィスからの南側の眺め。
・日本と並んで、最も英語に弱い国タイ。このタイがアジアの拠点としての機能求められている一方、その国民性から、中国との競争に勝てるだろうかという懸念の声もある。
・今後も着実な発展を望みたいものである。
・今回は、仕事場とホテルを往復していただけなので、観光話は一切無しなのでした。



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